🌺出来事325 沖縄本土復帰50周年
今日、5月15日は、沖縄本土復帰、50周年なんですね。
沖縄が、本土復帰するまでにどんなことがあったか、NHKで放送されるので、
見たいと思います。
沖縄は、1番、大好きなところです。
海が、綺麗で、空は大きくて、南国の植物は、鮮やか、街中に流れている沖縄の音楽も大好きで、行くたびに、気持ちが、盛り上がります。
行くたびに、帰りが、寂しくて、また、行きたくなります。
沖縄が大好きな人は、沢山いるんじゃないかと思います。
初めて沖縄を訪れたのは、
ずーーっと、昔の、私が、20代前半の頃です。
飛行機を降りて
最初にいったのが、ひめゆりの塔でした。
ひめゆりの塔は、防空壕があることは、知っていましたが、有名な観光地だから行ってみたい、ぐらいの気持ちで行きました。
ずっと楽しみにしてた、初めての沖縄、ひめゆりの塔は、どんなとこだろうと、ウキウキしながら、レンタカーを、運転していると、南国の明るい草花や、テレビで見た赤瓦の家があったり、シーサーがいたり、見たことのない景色に、感動しながら、ドライブをしました。
レンタカーの、ラジオで沖縄の音楽が、流れていて、沖縄の音楽をききながらのドライブが、更に気持ちを盛り上げてくれました。
ひめゆりの塔に着いて、
唯一、地上戦が、あった沖縄。
防空壕を見た時、こんなに、急で、真っ暗で、怖そうなところで、、、爆弾を投げられて、沢山の若い人が、犠牲になって、、、
防空壕の前には、沢山の花が、挙げられていました。なぜだろう?花が寂しく見えて、暗い、悲しいところという印象でした。
近くに、資料館がありました。
資料館には、看護要員として、負傷した兵隊さんの看護し、犠牲になった、女子高生、1人1人の写真がありました。
皆んな10代、私より若いのに、、、、。
防空壕の中を再現した悲しいレプリカがありました。
レプリカの前で、戦争を経験された、おばあが、
沖縄の戦争が、どれだけ残酷だったか、
女子高生が、看護要員として、負傷した兵隊さんを看護してる様子、
傷口が腐ってウジムシが湧いて、ウジムシを取っても取っても、湧いてくる、うだる暑さ、悪臭、兵隊さんが、痛い痛いと、朝も昼も夜もうなっている、死体埋葬も行っていたと、、、、
負傷兵は、増え続けるばかりで人手が足らず、寝ずに働き続けたこと、、、
そして、防空壕が、ピカッと光って、、、、。
その後は、聞いていられなかったのかも知れないです。覚えていないです、、。
残酷な、話でしたが、聞いて良かったです。
亡くなった女子高生の霊を祀るため、慰霊碑が建てられました。
こんなに、残酷な戦争があって、本土復帰して、素晴らしい楽園、沖縄があります。
沖縄が日本に戻ってくれて、本当に良かったです。もし、アメリカだったら、沖縄の琉球の、建物や、音楽、舞は、どうなっていただろう?
今の時代に、生きているのが、どれだけ幸せで、ありがたいことか、、、。
当たり前の、平和が、どれだけ、ありがたいか、、、。
沖縄本土復帰、50周年と、きいて、思い出したので書いてみました。
戦争は、やっては、いけないです。
早く、ウクライナや、他にも、戦争してる国が、平和になりますように、、、。